花月楼の歴史と文化遺産

花月楼の歴史

勝山 近代化の道 – 花月楼開業の時代背景

花月楼の歴史

花月楼が開業した明治時代、日本は明治維新以降資本主義経済へと変化し、勝山では家内手工業であった製糸業と刻煙草(きざみたばこ)業が近代化への出発点となりました。
なかでも製糸業は、幕末の開国以来重要な輸出品であったためおおいに推奨されました。明治7年3月斎藤治兵衛らは、袋田町に工場を立て操業を始めました。明治9年には、機械24台、男女工員60名をもって、勝山製糸会社を創立しました。10年目には、機械100台、従業員240人を数えるまでに成長しました。
勝山のたばこ産業は、江戸時代から藩の統制のもとに発展しましたが、明治期に入ってさらに大きく進展しました。明治13年には勝山煙草会社が長淵に設立され、15年には勝山煙草改良会社が下後に建てられました。当初、政府の製造工場が充実するまで、その製造を民間に分担させました。これを「場外作業担当人」といい、審査を通過した場外工場は、勝山に5つあり五大工場と呼ばれました。しかし、その後「場外作業担当人」は順次整理され、勝山製造所の製造量も漸減の傾向にありました。
このような時代背景の中、明治30年に花月楼はお料理角吉の支店として開業しました。(参考資料 勝山市『図説 勝山市史』)

花月楼の歴史
明治9年(1876年) 勝山製糸会社(三の丸製糸)設立
明治13年(1880年) 勝山煙草会社設立
明治22年(1889年) 町村制の実施により「勝山町」他9ヶ村となる
明治30年(1894年) 旧料亭花月楼が河原町通りに建つ
明治43年(1910年) 勝山町に特設市外電話が開通
大正3年(1914年) 福井〜勝山〜大野間電車開通

登録有形文化財(建造物)

花月楼登録有形文化財認定

所在地
勝山市 106 字西中下後町 28
年代
明治30年(1894)/大正4年増築
登録基準
国土の歴史的景観に寄与しているもの
特徴
旧料亭花月楼(中村家住宅主屋)は、かつて花街として栄えた河原町通りに建ち、現在の建物は明治37年(1904)に建てられました。
木造2階建、入母屋造桟瓦葺で、南側の棟は大正4年に増築されました。1階には客間として8畳間が3室、20畳の大広間が1室、2階には10畳の座敷2室、8畳間が4室、32畳の大広間が設けられていました。特に32畳の大広間は幅2間半の床を設け、天井は意匠的にも優れた傘状となっています。また、芸子の控の間や帳場として使われた部屋があるのも料亭ならではの特徴です。かつて勝山は繊維業で栄えた町であり、多くの宴会が開かれたと思われます。当時の繁栄を象徴する建物のひとつです。
登録有形文化財

勝山の郷土に根づいた旧料亭花月楼

明治30年、「花月楼」はお料理角吉の支店として店を構え、経営は”角吉良兵衛”があたっていました。その後料理旅館へと姿を変え、昭和30年頃「花月楼」と改名しました。平成11年に廃業しましたが、平成29年4月「食と文化の駅」として蘇りました。
「花月楼」がある河原町は河原通りとも呼ばれ、明治以後は花街として栄えました。またこの付近は遊郭や貸席、飲み屋が並び、経済界や政財界の人ばかりでなく、近郷近在のひとびとが集まり、一晩で百人ぐらいの人で賑わったことから「百人町」という呼び名があったほどでした。
新しい「花月楼」は、その時代の趣を残したまま改修されました。美味しいお料理とお酒とともに味わってください。

リノベーション

リノベーション

観光向けの「食と文化の駅」に…

「食と文化の駅」をコンセプトに、平成29年4月登録有形文化財である「旧料亭花月楼」があたらしく生まれかわります。新しい花月楼は、今までになかった文化財の利用として「食」も「文化」も楽しめる、さらに誰でも気軽に立ち寄れる「駅」としての役割を持ちたいと考えております。文化財をもっと身近に感じていただき、歴史や文化とともに、勝山の郷土料理も味わっていただきたいと考えております。

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建物の価値を活かす

建物の改修は、必要最小限にとどめ、築120年の文化財としての息遣いを、最大限再現するよう努めました。かつて料亭を訪れた文化人や財界人も見上げたであろう大広間の”傘天井”、そこに住んでいた人々からも愛され、今も春になると咲き続けている”しだれ桜”、変わらぬ価値とあたらしい空気を感じでいただけたらと思います。

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