浦上雄次さん(タップダンサー)
「今あるこの命を輝かせてほしい」

浦上雄次さん(タップダンサー)「今あるこの命を輝かせてほしい」

勝山で叶えたい、
タップダンスを通して実現したい夢

浦上さんがタップダンスに出会うまでのことを教えてください。

僕の出身は熊本なのですが、中学の時は周りになじめなくて家にひきこもることが多かったんです。
当時「ダンス甲子園」というTV番組を夢中で見ていたこともあり、母親の勧めでストリートダンスを始めました。
高校卒業後は東京の専門学校に進学しましたが、ダンスは継続。
イベントに出てダンスで初めてお金をもらったことをきっかけに、プロのダンサーを目指すことにしました。
しかし、プロとしてやっていくなら、流行りやカッコよさだけではいけない。
ダンスの本質にふれるにはどうすればいいのか、考えていたときに思い出したのが、高校生の時に観た
タップダンスの映画でした。
タップダンスは唯一音を奏でられるダンス。いつかはやってみたいと憧れがあったんです。
そこで、日本トップクラスのタップダンサーHIDEBOHさんのチームに所属。
映画や舞台、レッスンなど、ハードでしたが刺激的な毎日でしたね。

そんな浦上さんがなぜ勝山に?

当時、お金には不自由のない生活でしたが、苦しい環境に身を置かないと成長は見込めないと思っていました。
そこで、30歳の時に所属チームをやめ、すべてをゼロにして独立。
ニューヨークで経験を積み、帰国後も東京を拠点にさまざまな場所をタップの普及に努めていました。
37歳で結婚。
奥さんは勝山のお寺出身なのですが、ある時、義理の父から「寺の本堂をタップの練習に使ってみては?」と
提案されたんです。
その時は冗談で笑っていたのですが、後で考えてみたらこれはいいかもしれないと。
40代以降はタップダンスの作品づくりに挑戦したいという夢が芽生えていたことから本格的に考え始めました。
当然、周囲からは反対されましたし、「タップやめるんだって?」と言われたことも。
東京は人やパワーが集まる場所でしたが、タップを発信するのはほかの場所でもできる。
自然に囲まれた豊かな環境でタップと向き合おうと、2015年勝山にやってきました。

現在の活動とこれからの目標を教えてください。

現在は各地でライブやイベントに出演しながら、勝山でレッスンを行ったり、地元の小・中学校でワークショップを開いたりしています。
10代って難しい時期。僕もそうだったように、毎日学校に行くのが憂鬱な時もあると思います。
子どもたちにはただタップを教えるというよりも、「今あるこの命を輝かせてほしい」そんな思いが伝わればと
思っています。
また、2019年5月に、越前大仏の門前町に新たな拠点をオープン。勝山で新たな仲間を少しずつ増やしながら、
タップダンスのスタジオだけでなく勝山のまちが活気づくような場にできればと考えています。
今は42歳ですが、思い描くタップダンスの舞台作品を50歳までにつくりあげたいですね。
これまでタップダンスを通して与えてもらった夢や感動を、舞台作品を通して多くの方に伝えたいと思っています。

Profile:浦上雄次 タップダンサー

熊本県出身。
16歳から小原朋浩氏にソウルダンスを学び、熊本のダンスチーム
「DEE-LITE」のメンバーとして活躍後19歳で上京。
2001年から5年間、タップダンサーHIDEBOH主宰のグループ「
THE STRiPES」のメンバーとして、北野武映画やTVCM、
海外のイベント出演を果たす。
2015年から勝山に拠点を移し、2019年5月に越前大仏門前町に
新たなスタジオをオープン。
浦上雄次HP https://www.uragamiyuji.com
Blog https://sujitap.exblog.jp

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